というよりは、

見たいものだけが見える、

見たくないものは見えない、

ということが言えるように思います。

たとえば、先の原発事故とその後について、

悲観的に捉えたい人は、

悲観的な情報のみ見えるし、

楽観的に見たい人は、

楽観的な情報が自然に入ってくる。

そして、お互いに決して相手の見解とすり合わせて、

合理的な結論、施策を得ようとしない、

という状態は典型と言えます。

でも、これを別の見方をすれば、

欲しいものは見えてくる、聞こえてくる、

とも言えるわけなので、

自分のなりたい姿、欲しいもの、望ましい状態

を常に「欲しい、欲しい」と

望んでいると、

それを達成する情報や道筋が見えてくる、

ということがあります。

「運」は掴むもの、

というのは、そういうことでしょう。

さて、こういうことは確かにある、と思いますが、

ここで終わらず、そのデメリットも併記しておきましょう。

その「欲しいもの」「望ましい状態」が

下賤なものだと、

あなたも卑しい人間になるでしょう。

また、あなたのその要求を利用して一儲けしよう、

という人も世の中にはたくさんいますので、

気をつけなくちゃいけません。

また、これがとっても良くはまる人は、

「酩酊状態」

になりやすい人なので、

冷静な判断を失い、周りが見えなくなることがあります。

これが私の考えるバランス。

で、こういうことを言う人は宗教家にはなれないし、

なりたくもないんですね、たぶん。