久しぶりに書いてみる気持ちになりました。
先月だったかと思いますが、
神保町の古本まつりに行って、
偶然、音楽に関するエッセイの文庫本を二冊買ったのです。
■「音楽巡礼」 五味康祐
■「私の好きな曲」 吉田秀和
おふたりともそれほど読んだことはなくて、
五味康祐さんは、どちらかといえば熱烈なオーディオマニア、
吉田秀和さんは、難しい音楽評論を書く人、
という認識だったわけですが、
続けざまに読んでみると、はっきり感じるのは、
両者の文体というか、文章の持って行き方ですね。
五味さんは、ゴツゴツあちらこちらに変なコブシが入っていて、引っかかる。
吉田さんは、サラサラ流れるように読めるし、わかりやすい。
「こんなにわかりやすかったっけ?」という感じ。
五味さんのこの本は、読んでいくと、
この人がどんな人生を送って来たかが、
わかるわけですが、
私の倫理基準からすると、
到底受け入れがたいもので、
それはまあいいとして、その内容をよく平気で文章にして売って金にしたものだ、
と、思ってしまうのです。
美しい文章を書きながら、人生はめちゃめちゃという人も絶対いるに違いありませんが
五味さんは生き方が、文章にも現れている例ではないでしょうか。
それからしたら、素直な人なのかもしれません。
たとえば、彼は、シューマンの精神の弱さをこき下ろすわけですが、
まあ、しつこい、しつこい。
そんなに嫌なら書かなきゃいいのに、
という感じです。
しかし、どうも、彼自身がシューマンの弱さを自らの中にも見ているので、
けなしながら、自分の顔を自分で殴っている、
という気持ちは感じるわけですが…。
対して、吉田さんの方は、
好きな曲のことを書いているから、
当然かもしれませんが、
作品や作者に対する愛情をすんなり感じ取ることができます。
その中の、
「シューベルト ハ長調交響曲D.944」
を読んで、思わず昔買った、
フルトヴェングラー&ベルリン・フィルの戦時中録音のCDを取り出して、
聴いてみたくらいです。
好みとしては、整体を含めて、
人生のいろいろな面で、プレーンでわかりやすく、
吉田秀和さん的にやっていきたい、
と思ってしまう私ですが、
その本に解説文を書いている丸谷才一さんによると、
吉田秀和さんは、
『近代日本の文学遺産にまったく頼らずに、徒手空拳で道を開いた』
のであり、
『よほど頑固で真面目で向う見ずでなければできない』
業績を残した、ということらしい。
むずかしいことをかんたんに、
ということは、
むずかしいことですなあ。