昨年末に、家で買っている猫が病気になって、

その手術がトラブル続きということもあり、

いろいろと勉強になりました。

その中で、薫風舎にいらしている獣医の先生からのアドバイスは、

「ネコは病気したり、怪我をしたりしても、悲観することがまずない」

「でも、飼い主の悲観は敏感に「異変」として察してしまうので、努めて今まで通りに接したほうが良い」

ということでした。

そんな動物の中にあって、

人間には、たしかに悲観も楽観もあって、

生きていく上での影響も大きいと思うのですが、

たとえ重い重い悲観があっても、

未来にひとかけらの楽観があれば生きていけるものかもしれない、

と思います。

それも、

「夕ご飯が楽しみ」

「少し元気になったらあの人と会えるかな」

くらいのこと。

逆に、

今生きている世の中に、

なんの希望も未練もなくて、

過去の思い出や、

先に死んでいった肉親や友人たち、

(あるいは、全てが終わったあとの静謐)

だけが恋しくなってくると、

そちらがわに楽に行けるのかもしれません。

とは言え、整体指導という以上、

「生きる気」の方を起こしていくことが課題となります。

多くの方を観ていくと、

その「起こす」ための糸口が、

体のほんの表面にわかりやすく表現されている人もいれば、

まるでわからない奥に、あるのかないのか、

という方もいます。

その違いはなにかと考えることがあります。

(続く)